3年半アメリカに留学していました。
自分ではアメリカナイズドされているつもりはないのですが、日本に戻ってきて少なからずアメリカの文化に影響されている部分があるなと感じます。
日本に住んでいて感じるのは、「まぁ生きづらい!」
今回はそんな日本を生き抜くために、アメリカで得た日本人にもあったほうが良いと思う価値観を6つ共有してみようと思います。
個人主義
まず一番に思いつくのは個人主義です。
individualismという言葉がありまして「個人主義」と意味するのですが、この言葉はまさにアメリカを表現していると思います。
アメリカでは「私は私という人間であなたはあなたという人間だよね」という考え方の人がほとんどでした。
多民族国家で色んな人が居るので「違って当たり前」という感覚があるのだと思います。
なので、まず人と趣味嗜好が違っていて馬鹿にされることはなかったです。もっと言うとそこまで他人に関心が及んでない笑
学校にいても日本で良くあるようなグループ行動はほとんどありませんでした。
大体一人か二人で歩いているし、大人数で集まってキャハハみたいなのもほぼみたことない。
個人の心のパーソナルスペースがゆったりしている感じです。
なので他人もそこまで深入りさせないし、自分も深入りしません。
よっぽど親しい関係以外は「thats not your buisiness(あなたには関係ないこと)」って感じなのでお節介とか不必要な言及も少ないです。
何か意見を言ってくれたとしても「it's up to you(あなた次第だよ)」と最後は私に委ねてくれることがほとんど。
私はこの個人主義が自分にとっても合っていると思っていて、自分のことは自分で決めるし自分で責任を取る方が気持ちが楽でした。
日本は他人と連携を取りながら、みんなで同じ考えを共有しがちな集団主義だと思うので私はいまだに苦手な部分があります。
でもこれはアメリカに行って合わなくなった訳ではなくて、学生の頃からずっと「なんでみんな一緒じゃないといけないんだ」と息苦しさを感じたりしていました。
人々の生き方が多様化した現在では、私が子供だった頃なんかよりずっと集団主義が苦手な人が多いと思うんです。
いきなり日本が個人主義になるなんてことはまずないにしても、日本の集団主義は世界的な目線で見るとある意味特殊であることを理解していると結構楽になれたりします。
そんな日本が合わないと思う人はアメリカや他国に旅行や留学をしてみたりすると良いかもしれません。
集団主義の日本で急に個人主義を炸裂させるのも生きづらいと思うので、まずは他人と違ったっていいと自分の中で自分の個性を認めてあげるといいと思います。
この人は自分の世界があるんだと他人に思ってもらえたらこっちのもんなので、勝手に心の個人主義始めましょう。
受け身は損
続いては受け身は損だと言うことです。
アメリカ(私が居たのはカリフォルニアですが)ではまぁ〜至る所でガンガン話しかけられるんです。
授業でもやる気のない人沢山居ましたがみんなちゃんと自分の意見を言ったり参加しているんですよ。
道を歩いていて「その服いいね、どこで買ったの?」と聞かれるのは日常茶飯事で、特に良いと思ったことへの反応は欠かさない印象がありました。
異性に対しても男性は特に素敵だと思ったら初対面だろうが道端だろうが「素敵だね。コーヒーでも飲まない?」ってなんのためらいもなく言います。
しつこくされると不快ですけど、相手も一世一代の誘いじゃないし軽やかに誘って軽やかに去ってくれるんですよね笑
そしてそう言われた方ももちろん嫌な気はしないんですよね。(たまにヤバい人は居ますが)
日本に居てポジティブな反応を全く知らない人にしたくなるときがよくあるのですが、まず戸惑いの表情を向けられることは目に見えているので尻込みしてしまいます。(気さくに反応してくれそうな人なら話しかけちゃうこともあります笑)
そんなとき、人に対してポジティブな感情を閉じ込めていることって勿体無いなってよく感じます。
苦言や言いづらいことは一生懸命不快にならないように努力しながら伝えるのになんでポジティブなことを気軽に伝えていかないのな〜と思ったりしています。
大阪に行ったとき、おじさんやおばさんが「あんたええ靴履いてんなぁ〜」だとか「それええなぁ、買ったらええんちゃう?」って急に話しかけられたとき「日本のアメリカはここにあったのか笑」と感じたものです。
これは私の勝手な意見なんですが、関西人からのし上がっていくパワーを感じることが多い。
他者へのアプローチの仕方が上手だなって思うんです。お笑いがあるっていうのは大きいと思うんですけど個人の売り込み方が上手だと思うんですよね。
良いと思ったことを臆せずに伝えることや、あれこれ考えすぎずにとりあえず行動してみるところがアメリカっぽい。
そしてそういう人って受け身な人より成功していくイメージです。
ポジティブな自己表現はどんどんしていけば良いと思います。
他人の目を気にすることの無意味さ
これは最初の個人主義に通ずるのですが、自分がどんなに人からの評価を気にしたところで結局人は自分の人生しか歩めないじゃないですか。
自分の人生しか歩めないと思えば正直他人なんてどうでもいいんですよね。
どうでもいいと言うと冷たく感じるかもしれないけど、人が人に優しくできたり面倒なことを言わずにいられるのは「いい意味でどうでもいい」からなんですよね。「あなたはあなたの人生を生きてね」という優しさです。
逆に人にあれこれ言う人は、その人の人生に自分の人生を重ね合わせているからじゃないかと思うんですよ。
日本は特に他人に関心を寄せられやすく、干渉されやすい国だなと思います。
島国だから他民族が少ないし、横一列で足並みを揃えたいところがあるので自分と違うところが気になりやすいのかもしれません。
どんなに周りから酷評されたり、必要のないアドバイスを浴びせられたとしても、自分に何が起きたって彼らは私の人生に対して何の責任も負わないですしね。
もっとこの人生の主役は私という感覚があっていいと思います。
私って素敵って思ってる
自撮りってここ10年で急に増えたなって思っているんですよ。
確かインスタグラムが流行り始めた2010年くらいからがきっかけで日本人がすごく自撮りを上げ始めたなって印象があります。
人間は誰しもナルシシズムがあると思うし、必然だと思うんですよ。
でもなんとなく日本って「私素敵」って思ってるとせせら笑われる雰囲気ありませんか?
そんな雰囲気から自分のナルシシズムを抑え込んでいた日本人がここ10年でそれを解放している印象があります。
自分を素敵だと思うことってとても大事な感覚だと思います。全然人に笑われるようなことではないと思う。
アメリカではほとんどの人が自分を自分で認めてあげられているような印象を受けました(少なくともカリフォルニアでは)
この自己愛みたいなものは決してナルシシズムではなく、i'm OKという感覚です。自分が自分であることを認めているって感じですかね。自分を認めてあげられるから他者も認められるってあると思います。
そういう意味でアメリカ人は自己肯定感が高く、日本人は自己肯定感が低い人は多いだろうなぁと感じたりしています。
なんだが今の日本のそれは他者によって自分の価値を決めてもらっているウェイトが大きい気がしていて、自分のことが好きなのはとても良いことだと思うんですけど、誰かにではなく自分自身で自分は素敵だと思えるようになれたら良いなって思ったりします。
自分の考えがある
授業でも先生に急にあてられて「どう思う?」って聞かれることが多かったです。
これって日本人が一番苦手なやつですよね。
一番苦手なやつなのに結構社会に出て地位が与えられると急に意見を求められる場面が多くなったりするんですよね。
学校で約18年間、散々疑問を持たずにルールに沿って生きていけと教育されてきたのに急に自主性を求められるってなかなか酷なことしますよねって思います。
日本は自然と「自分でものを考えない」癖をつけられているような気さえします。個人が自分の意見を持たない方が統率する側は楽ですからね。
ニュースを観ていても、海外では起こったことを淡々と流しているシンプルなものが多いけど日本ではやたらコメンテーターがいたり「こう思って欲しい」というバイアスのかかった編集がなされているとよく感じます。
twitterを見ていても声の大きな人やRTの多い情報を鵜呑みにしていたり、一旦立ち止まってこれは事実なのか、一部を切り取られたものではないか、違う立場の人間だったらどう捉えるかなど考えたりしないのかと少し怖く感じたりします。
動画や投稿に対するコメントを見てもみんなが同じような批判をしていたりして、内容を確認する前にコメントを読んでうがった目線で物事を捉えているんではないかと思ったりもします。
コメントを読む前に内容を確認してまず自分はどう感じるのかをしっかり思考した後に、コメントを読むようにする習慣をつけると良いと思います。私自身、先にコメントに目を通してしまうとその意見に大きく影響されたりするので。
自分の意見を持つことはもしかしたら日本では生きづらいことなのかもしれません。
それっぽい意見にみんなで乗っかっている方が楽だったりするので。
ただ、自分の考えを持つと他人に振り回されることが減りますし、自分で考える癖がついていると自分が感じた疑問や違和感に自分自身で答えが出せるようになったりして楽な部分は大きいです。
人に影響されるのはつまり、自分の人生や進んでいく道を他人に決めてもらっている状態だと思います。
自分自身で自分の人生の舵を切るために、自分の意見を持つ習慣を身につけると良いなと思います。
伝えないと分からないという感覚
I languageというコミュニケーション方式がありまして、会話の頭をIから始めると会話がスムーズだよってやつなんです。
例えば人に不満を伝えるときも、「あなたはこういうところがあるから困る」というよりも「私はあなたはがこうしてくれると嬉しい」と伝えるやり方です。
アメリカではイエス・ノーをはっきり言うと思われていますがそんなことはないですよ!
彼らは断るのが非常に上手です笑
「行けたら行く」とは「考えとく」などのぼんやりした答えは使わない代わりに相手を不快にさせない断り方がとても上手なんですよ。なので頭ごなしにイエスノーを言ってる訳じゃないです笑
日本では、みんな空気を読むことを日常的に求められているので「言わなくても分かってくれているはずだ」をビジネス以外のプライベートにも持ち込んでしまっているところがあると思います。
または、わざわざ伝えて揉めるくらいなら私が我慢すればいいやという感覚。
意見の交わし合いを極端に避ける傾向があるように思います。
アメリカでは「違って当たり前」が大前提なので「伝えないと分からないよ」って言われます。
そう言われると伝えないと損だなって思いますよね。
こちらの記事でも書いたのですが、「分かってもらえてるはずだ」は不満が積み上がって大きな亀裂を生みがちです。
確かに伝えて揉めるのは避けたいですが、溜め込んで爆発させることになるくらいならこまめに相手の気持ちを考えた伝え方をしていくことが大事だと思います。
以上、つらつらとアメリカ時代を思い出しながら書いてみました。
若干日本ディスっぽくなってしまっていたらすみません。
日本にも他国に負けない素晴らしい部分があることはもちろん承知ですしアメリカにも良くないことはあります。
色んな文化があることを知ると、自分はこの文化が好きだからこれからの行動に取り入れようって思えたりします。
今回書いた6つのことは身について損になることはないと思いますし、私自身知れて良かったと思えた感覚なので、皆さんの心に少しでも残ってもらえると嬉しいです。