許せない人がいる人は、「自分は常識人ではない」と思うことで気持ちが楽になる

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なんだかセミナーみたいなタイトルですね笑

ですがこれは本当なんですよ。

結論から申し上げると、まず間違いなく

自分は正しいと思っている人間ほど、人生の中で衝突が多い

からです。

目次

許すとは、自分の中の正しさを放棄すること

私には許せない人がいました。憎い気持ちが収まらないことがありました。

ただ、憎んでいる間、自分自身がとても疲弊していて心穏やかでなくて自分自身を苦しめているということに気づいたんです。

私は自分を好きでいたいのに、今の誰かを憎んでいる自分が好きになれない。

どうしたらこの憎しみをなくせるんだろう。。と長い間悩みました。

でも、考えれば考えるほど「許せない、やっぱり嫌い」と負の感情が渦巻いてきて心の中がどす黒い色になってくるんです。

そんなときに出会ったのがこの言葉。

「許すとは、相手の正しさを理解して、自分の正しさを放棄すること」

初めてこの言葉を知ったとき、ハッとしました。

「私は心のどこかで私の方が正しいと思ってるんだ。」

悩みを周りの友人に相談したりして、共感してもらっていたからなおさら

自分は正しくて、相手が悪い

と決め込んでしまっていたんだと思います。

自分を信じていい、でも正しいではない

自分の考えを持つことは全く悪いことではないです。

いつも他人の意見に揺り動かされる人より、自分を持っていて魅力的にも映ります。

ただ、自分の考えは必ずしも正しいと判断してしまうのはとても危険です。

自分の考えというのは、自身のこれまでの経験から導き出した最良の案であるだけで、

これは他人には必ずしも適合しないからです。

自分が身を持って経験したことであればあるほど、ついアドバイスと称して自分の考えをさも正解かのように伝えてしまうことがあります。

ですが、これは相手にとっては理解し難かったり、ありがた迷惑であることもあるのです。

自分が逆の立場なら、それがどれほど不快であるか想像できると思います。

人それぞれの正しさがあることを知ると怒りが収まる

自分のものさしで他人を測ることと、自分の考えを持つということは全く別のことです。

自分の考えを強く持っている人ほど、相手が自分と異なっていると、

相手は間違っている

という判断をしてしまいそうになることがあります。

でも、相手は相手なりに考えがあり常識があるのです。

ただそれが自分には理解できない内容だというだけです。

相手の考え自体を理解するのではなく、

彼らにとっての信念や常識がある

ということを理解すればいいんです。

私の場合は、私が正しかったわけでも相手が正しかったわけでもない。ただ各々の常識が異なっただけだ。

という結論に辿り着くことができ、少し気持ちが収まりました。

相手には守りたいものがある

会社や学校でいじめられたり、理不尽な思いをさせられることもありますよね。

その場合、「なんでいじめたりするような人間の常識を理解しなければいけないんだ。」と思うかもしれません。

私もそう思います。そんなやつのこと分かりたくもない。

ただ、人をいじめたりすることが彼らの常識なのではなく、

何かを守るためにその行動を取っていることがほとんどなのです。

  • 後輩の芽を摘まないと自分の立場が危ぶまれる
  • 一緒にいじめておかないと今度は自分がいじめられる
  • 結果を出してもらわないと自分が上司から叩かれる
  • ここで強く言っておかないと周りの人間に示しがつかない

など守りたいものはそれぞれ。

「とは言ったって私ならそんな行動は取らない。信じられない。」と思うかもしれません。

でもあなたとその人は全くの他人なのでしょうがないんです。

大切にしているものが違います。

その人は「それをどうしても守りたかった」と認めるのがあなたを救う最善の手なのです。

それがわかったらその人からは速やかに距離を置いて新しい環境で生きればいいのです。

許さなくてもいいけど憎むのはやめよう

もちろん相手を許すことができたらそれが一番楽ではあります。

でも、許せなければ許さなくたっていいですよ。

自分がされたことに対する気持ちは晴れないでしょうし、むしろ許そう許そうと考えすぎる方が余計に脳内に登場してきて鬱陶しかったりもします。

ただし、許さなくてもいいけど憎むのはやめましょう。

憎むのは疲れます。自分の時間を侵害します。

憎んでいる時間は自分の心を消耗させます。

これからの自分のために憎むのはやめましょう。

私はこうだけどあなたはそうなのねが一番

論破すると言う言葉があります。

私はこの言葉があまり好きではありません。

だって私たちは日頃、ディベートをしているのではなく、コミュニケーションをとっているのですから。

朝まで生会議でもないし、どちらが正しいだとか、結論を追い求めなくていいんです。

歳をとれば取るほど、自分の常識が屈強なものになってきます。

自分が正しいと強く思っている人ほど、人々との違いを感じる度に苛立ったり説得させようと奮起しているとしたら何だか滑稽だと思いませんか?

自分は常識人だ!と思い込まずに、「私はこういう考えを持っているけど、あなたはそういう考えなのね」という心持ちで人と接する。

そうすると、人間関係で価値観の違いがあっても衝突にならず、穏やかな気持ちでいることができますよ。

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